スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

長谷敏司『BEATLESS』の感想とか思った事

2013年08月10日
1年半ぶりの更新だけど、そんなの気にしない。

というわけで、長谷敏司さんの『BEATLESS』を読んだので感想を書いてみる。

とにかく私は、この小説を読んでいる最中、小骨が喉に引っかかったように心にしこりを残したまま読み進めた。
それが推進力になったことを読み終えた後に気付くやいなや、頭の中に考えが渦巻き、煮えたぎりそうだったので、今回久しぶりに文章という形で整理しようと思い立った次第である。

では、まえがきはこのくらいにしておいて、感想を書いていきたい。
 とりあえず、まずは書誌データを。

長谷敏司は1974年大阪府生まれ。『戦略拠点32098 楽園』でデビュー。『天になき星々の群れ』『円環少女』などの作品がある。2009年には早川書房のJコレクションから発表された『あなたのための物語』が日本SF対象候補になった。
(SFマガジン編集部編『ゼロ年代SF傑作選』(ハヤカワJA)より抜粋したものを一部改変)

 という経歴の持ち主である。
 
 先の引用にある作品、『あなたのための物語』についても触れておくことが、『BEATLESS』の感想を書く上でも大事なので、少しだけ。

 『あなたのための物語』は、本作の主人公サマンサ・ウォーカーが一人自宅で病死する様子を克明に描くシーンから始まる。その描写は本当に執拗で、人間という”もの”がナマモノであることを、どれだけ科学が発達しても死に直面する際は一人だということを読者に印象付ける。
 大幅に端折るが、『あなたのための物語』はサマンサが作成したコンピュータ内仮装人格「wanna be」と対話をし、人間性、”こころ”の有無、道具と人間との関係を見つめ直す作品であると言える。

さて、では話を『BEATLESS』に戻そう。

 本作では前述の人間のあり方、より詳しく書くなら、ヒトの”かたち”をした”もの”に”こころ”を見出す正当性、道具を身体感覚の延長線上に宿し進化してきた人間の次のステージといったことをテーマとしている。

 本文を読み進めるのに必要なTipsもまとめておこう。

hIE…<ヒューマノイド・インターフェース・エレメンツ>の略。機体の外にあるネットワークからの通信で、記録された膨大な”振る舞い”モデルから、最適な行動を選ばれて動く人型ロボット
アナログハック…hIEは人間の形をしているけれど、人間と同じ意味は持っていない。形が同じであるので、意味を判断する人間側がそこに勝手に意味を見出してしまうこと。接する人間に、行為や意識のセキュリティーホールが出来てしまうこと。
人類未踏産物…超高度AIが作る人間の科学や技術がまだ到達していない未来を先取りした産物群。
遠藤アラト…本作の主人公。熱血漢であるが正直なゆえに周りからはチョロいと評される。
レイシア…アラトの所有するhIE。<レイシア級 Type-005>

 では、以上を踏まえたうえで本作の内容に触れていきたい。

 本作は、シンギュラリティSFである。しかもシンギュラリティ前夜を描いている。なので、他のSF作品では当たり前と判断され、ある意味お約束になってしまっているような事でも、まだ当たり前にはなっていない。具体例の代表的なものは、ロボットの”こころ”の問題である。

 今回の記事では、『BEATLESS』を読んで思った事がたくさんありすぎてとてもじゃないが書ききれない。明文化出来るほどハッキリ意識に昇っていないものも多いので、この事を焦点に以下書き進む。

問:ヒトの形をし、ヒトのように振る舞い、ヒトのように受け答えするロボットにこころは有るか?

答え:本作の舞台である時代の科学でも、未だに生命を定義する事が出来ていないのでそれを証明することは不可能である。

 そう、hIEはどこからどうみても外見上のちょっとした差異以外は人と変わりがないのに”こころ”は無いものとされている。作品内に登場する量子コンピュータである超高度AIですらそのことを認めている。シンギュラリティ前夜の本作では、これが原因となって人間は3つのグループに分かれている。
 一つ目は、hIEに”こころ”が無くても”こころ”があるように信じて、道具ではなく道具を外部を認識するデバイスとして身体の一部として一緒に生きていく派閥。
 2つ目は、あくまで道具は道具。いくら人らしく振舞ってみてもそこにこころは無いのだから、パートナーだなどと考えるのは正気の沙汰ではないと考える派閥。
 3つ目は、2つ目から派生したもので、徹底的にhIEを嫌い、排斥する方向に動く派閥。
(※ちなみに、私は一つ目の派閥の意見とほぼ同じ意見である)

 しかし、なぜそこまで”こころ”の有る無しにこだわり、しかも無いという方向でコンセンサスが出来あがっているのだろうか?それが本作を読んでいて、感じた一番の疑問である。

 本作での”こころ”の問題を語る上で外せないのが、哲学的ゾンビ問題だと私は感じた。哲学的ゾンビとは「外面的には普通の人間と全く同じように振舞うが、内面的には意識を持たない存在」というものを仮定することで、人間のこころの問題を考える思考実験である。まぁ難しいことはよく分からないが、理屈は理解できる。

 そもそも、目に見えず、定量的に観測することもできない”こころ”の有無は、判断する人間の価値観に依っている。例えば、幼稚園児はいとも簡単に虫を殺す。それを見て、「この子にはこころが無いのだろうか」と思う人はいるだろうか?通常、我々は子供にも”こころ”があるとして接している。
 人類未踏産物であるレイシア級のhIE5体は、その各々に個性らしきものが付与されている。喋り口調、表情、行動指針、意見すら違っている。しかしそれはあくまでユーザーの振舞いを反映したものだと説明される。
 
 そしてアナログハックの問題。

 ”こころ”があるように感じるのは、人間の”こころ”がロボットの振舞いから勝手に感じ取っているもので、ロボット自体は行動規範に従っているまでだ。だからロボットに意見は無く、その場その場で主人の気に入る言動を続けているだけだと、ロボットにこころがないと判断する派閥は説明する。
 …なぜそこまで”こころ”を排除したがるのか?”こころ”を持った道具という存在ではいけないのか?人類の更なる発展を助けてくれるパートナーとして扱ってはなぜいけないのか?
 その答えとして、作中では「世界が滅びるから」という理由が示される。この世界では過去に超高度AIを巡って社会に激動が巻き起こり災害となった事例があるからだという。しかしその災害も結局のところ原因は人災であり、AI側に落ち度はない。そもそも人間がいなくなったらメンテナンスにお金はかかるし、ネットワークインフラの構築も全て自前で行わなければなくなるので、AI側に得が無いということは士朗正宗『攻殻機動隊』でのタチコマの会議にある通りである。


 では、なぜこのように作中で疑問が産まれるような体裁をとったのだろうか?

それは、

長谷さんは読み終わった読者に議論をさせたいがために、提示された未来について考えさせるために、その他いろいろなことを読者が自分で答えを見つけて欲しくて、様々なことを曖昧にしておいたのではなかろうか?

ということ。

 そう考えると、『BEATLESS』を読み終わり、脳がカッカしていた私は、この本を正しく読めたことになる。
初めにも書いたように、とにかく色々と議題にしたいことが産まれる。誰かと意見を酌み交したい考えもバンバン出てくる。まだ意識にはっきりと昇っていないモヤモヤしたものもたくさんある。
 
 この小説は、漫然とお約束事としてとらえられていた出来事にあえて石を投げ込み、認識をゆさぶるSFなのだ。

以上、『BEATLESS』を読んだので感想などを書いてみた。この読書体験は、次に生きる読書体験になることは間違いが無いので、皆さんも読んでみてはいかがでしょうか?最後に断わっておくと、『BEATLESS』は拙基準ではライトノベルである。しかもセカイ系である。その点に引っかかっているだけとも言えなくない...。もうちょっと、『あなたのための物語』にあったような人間の匂いがある小説なら良かったのになあ(ブツブツ

それでは、また。

書評 | Comments(0) | Trackback(0)
Comment

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。