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暑い夏にはパニックホラー!ディヴィッド・ムーディ『憎鬼』の書評

2011年06月27日
 ハッキリとした梅雨明けはまだのようですが、雲の切れ間から覗く太陽の日差しはまさに夏のそれで、今年も日本のジメジメとした暑い夏が迫ってきていることがよく分かります。高校生くらいまでは四季の中で夏が一番好きだったんですが最近では秋が一番好きです。毎年毎年、酷暑すぎる・・・。今年も天気予報では”例年以上の暑さ”とのたまっていますが、こう毎年例年以上だといったいいつが例年だったんだと首をかしげるばかりです。

さて、そんなジメジメとハッキリしない天気が続きますが、今回も元気に行ってみますか!今回取り上げる作品はこれだッ!


・ディヴィッド・ムーディ『憎鬼』
 ゾンビ映画やゾンビ小説。いわゆる”ゾンビもの”のファンというのが世の中にはいる。B級、C級、時にはZ級の糞ゴミ映画ですらゾンビ映画だからという理由で喜んで観賞し、ロメロ監督を称えるあまり走るゾンビに異を唱えてみたり、ゾンビが出ているという情報をつかんだだけでそのコンテンツを摂取せずにはいられなくなったりする人達のことだ。まぁこれは言い過ぎだが、ゾンビファンの人たち個々人がホットなソウルを持っていることは確かだ。私もそうだし、この本『憎鬼』の著者ディヴィッド・ムーディもその中の一人だろう。そのことを知らしめるためにも、まず初めに「ディヴィッド・ムーディって誰?どんな人?」ということを、著者の公式ホームページのバイオグラフィーとWikipediaのムーディの項目を読んで要約したものをまずは書いておきたい。

 ディヴィッド・ムーディ(David Moody)は1970年11月19日、イギリスはバーミンガムに生を受ける。幼少のころよりホラー映画とポストアポカリプス小説を糧として育ち、ジョン・ウィンダム『The Day of Triffid』とH・G・ウェルズ『宇宙戦争』にロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を嵐の夜に見たときに彼の人生は決まった。その後、学校を出て銀行で働いた後、自分の人生の多くの時間を費やしてきたような映画を作りたいと一念発起するが、映画製作の経験も知識も無かったので、かねてより文章を得意としてきたムーディは小説家になることを決心する。半年の内に、処女作『Straight to YOU』を書きあげ小出版社から発行するものの売り上げは微々たるものだった。家族が出来たことによって一時期執筆から遠ざかるが、2作目となる『Autumn』をインターネットで公開すると50万以上のダウンロードを叩き上げ、いちやく時の人になる。2006年7月に『憎鬼(原題:Hater)』を出版するやいなや、アメリカの映画会社に映画化権を購入され、ギレルモ・デル・トロ(映画『ヘルボーイ/ゴールデンアーミー』などの監督)制作、マーク・ジョンソン(ナルニア国物語のプロデューサー)プロデュース、J.A.バヨナが監督を務めることになっている。『憎鬼』の映画化権が購入されてすぐに『Autumn』の映画化権もカナダの映画会社に売れ、デクスター・フレッチャーと『キル・ビル』のディヴィッド・キャラダインを主演に据え,既に映画化されている。『憎鬼(原題:Hater)』は3部作の第1部となっており、第2部の『Dog Blood』は2010年に発売、第3部『Them or Us』も2011年11月に発売される予定だ。

 といった経歴の持ち主で、今回この記事で紹介する『憎鬼』が邦訳された彼の作品の1作目となっている。これからのアポカリプス小説、感染パニック小説を率いていくであろう人物であることは間違いない。

 さて、それでは『憎鬼』のレビューに移っていきたいと思う。

 今作はゾンビ感染ホラーの亜種ともいえる存在だが、いま皆さんの頭の中をよぎっているであろう、”死者が生き返ってゾンビとなり噛まれると感染し殺すには頭部を破壊するしかない”といったようなステレオタイプなゾンビは出てこない。それなら前述のゾンビ感染ホラーの亜種とはどういう意味なのか?それはこの作品では、何の変哲も無い生者が突如として”周りにいる人間は自分に憎悪を抱いている。殺さなくては自分が殺される”という恐怖に突き動かされ、自分に憎悪を発していると感じる人間を、たとえそれが家族や親友であったとしても殺さずにはいられなくなるほど凶暴化する性質を帯びるのである。
 その性質を発症した人のことを”憎鬼”と呼称し、またその性質は感染しない。言ってみるならば、”憎鬼”になるべき生来の資質を持った人のみが発症する(もちろんそのことを見分ける手段は無い)。加えて”憎鬼”になった人同士では敵対心は持たず、逆に仲間意識を感じる。つまり、”憎鬼”になっていない人にだけ「俺とあいつは違うから排除される前にこちらから殺す!」という原始的ともいえる暴力欲求を抱くようになるのだ。
 そうなってくると当然、国中が疑心暗鬼に陥り、ささいな怒りを見せることすら、「この人は”憎鬼”ではないのか?」という疑惑をもたれることから差別され、街行く人たちは互いに目をあわさず、徐々にパニックが広がるにつれて家からも出なくなり、秩序は崩壊する。それでも”憎鬼”の発症は止むこと無く、ついに国は軍を挙げて”憎鬼”を殺してでもいいから捕えて隔離する政策に乗り出し、ここに「”憎鬼”vs.発症していない人々」の闘いが始まるのであった・・・、というストーリー。

 物語の主人公は、貧しいが故に全てが上手く回らないけど頑張ることは出来ないなぁと考えているぐーたらサラリーマンであるダニー・マッコイン。職場では上司にぐちぐち文句を言われ、こなさなければならない仕事は多い。家族は奥さんと子供が3人。住まいは上階に得体のしれない住人が住んでるような郊外のボロ安アパート。義父との折り合いも悪く、子供はわがまま放題で上手く躾けられておらず、いつもダニーをますます疲れさせる。妻との関係も上手くいっておらず口論になりがち・・・。読んでいてダニーの苦悩が辛くなるほど、綿密に、どれほどストレス溢れる家庭状況かが、これでもかというほどネチネチと書かれている。しかし、そのダラダラと続く日常描写の間にカットインされる”憎鬼”に目覚めた人が身近な人を殺す描写がえげつなくて、ただ単にこのままダニーがストレス溢れる環境を乗り越え、”憎鬼”になった人から家族を守り、最終的に家族愛に目覚め勤勉になるといった様なハッピーエンドが訪れないことを予感させる。
 そしてその読み通り、”あること”がきっかけとなって物語はその様相を急変させる。まるで暴走列車に乗ったかのようにスピード感を増す文章とエスカレートするパニック!軍による”憎鬼”への無差別殺戮と”憎鬼”たちとが繰り広げる戦闘シーンは、序盤のフラストレーションを充分に発散できるようなアップテンポな文章で、まるでへヴィーメタルを聴いてるかのような気分を味わった。
 といったところで、第1巻は終わるのだが、もうこの先いったいどうなるのかが、物凄く気になる作品だった。この先ダニーは”とある目標”を達成できるのか?できたとしても流血は避けられないし。”憎鬼”も人間だが秩序を回復させるために人権を無視したアウシュビッツのような殺戮が起こるのか?それとも”憎鬼”達が自らの国を建国するのか?そうであったとしても軍との衝突は避けられないし・・・、というように妄想が炸裂し、第2巻の邦訳が待ちきれなくなるおススメの一冊です!



 というわけで、今回のレビューはいかがだったでしょうか?本作の翻訳を担当された風間賢二さんによると、1巻の売れ行き次第で2巻が出るかどうかが決まるらしいので、ゾンビファンの人もホラーを愛でる人もそうでない人も、買ってくれるといいなぁ。
 ちなみに読んでる最中に頭の中でかかっていた曲は下の2曲でした(笑)





それではまた次の記事でお会いしましょう!ご意見ご感想などはお気軽にどうぞ!
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