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フィリップ・K・ディック『アジャストメント』を読んで映画に備えよう!

2011年05月21日
 さてさて、まだ5月だというのにまったくもって暑い日が続きますなぁ・・・。本を読んでいてもじっとりと汗ばんできて嫌になってしまいます。いっそクーラーでもつければいいんでしょうが、まだ早い!さすがにそれは早すぎる!と毎度自戒している次第でございます。まぁでも、冬の寒さに比べるとどうってことないですけどね!Say "NO" to Winter!さて、今回もちょこちょこと感想じみたものを書いていきますかね。

・フィリップ・K・ディック『アジャストメント』
 表題作を含む12編の短編にエッセイ1編を加え、13編からなるディックの短編集。表題作「アジャストメント」はマット・デイモン主演映画として5月27日よりロードショーが始まりますが、その映画の原作となっています。原作と言っても世界観はガラッと変わり、少しだけ設定を引き継いだだけのものになるようですが(^^;)ちなみに、最近の映画では「マイノリティー・リポート」、「スキャナー・ダークリー」、「NEXT」の3本は全てディック原作映画です。

 それでは、この本の中から特に気に入った4編を選んで、あらすじと感想を書きたいと思います。

・「にせもの」
 ディックの小説と言えば、私が語るのもおこがましくて少し恥ずかしいが、”精巧に作られたアンドロイドにヒューマノイド、人間に化けた地球外生命体は人間と区別がつかない、しかもそいつらの方が優れているのではないか?怖い!”という少々パラノイア的な思考の元、書かれている。
 この短編「にせもの」はその好例で、アルファ・ケンタウリから攻めてきた外宇宙人と地球とが戦闘状況にある最中、主人公オーラムの元にある日軍人がやってくる。その軍人、ピーターズ少佐はオースンを外宇宙人側のヒューマノイド型スパイとしてオーラムを逮捕・処刑するというのだ。無論オーラムは自分が人間であると主張し難を逃れようとする。何とか知恵を凝らし逃げ出したのはいいが、あっという間にまた捕まってしまう。そこで自分がロボットでは無いことを証明できる事実を思い出し、それを実証するために証拠がある現場へと赴くが・・・、といった内容。
 最後はディックらしい何とも言えない気分になるオチが付いており、ダークな気分にさせてもらった。前述のパラノイア的思考をフルに感じられる。

・「電気蟻」
 これまた何ともディックらしい作品。病院で目覚めた大企業の社長ガースン・プールは事故に会ったらしいが記憶がどうもはっきりとしない。体を確認すると右腕が無くなっていた。しかしこの時代の医学では有機代用腕を繋ぐことなど朝飯前なのでさほど気にもしていなかった。そうこうする内に、医師と看護婦がやってくる。さっそく有機代用腕を繋ぐ手術をしてくれと頼むプールに、医師は「それは出来ない。当院では”人間”の治療しかしない。ミスター・プール、いやプール。君は”電気蟻”、有機ロボットだよ」とプールにとって衝撃の事実を告げる。今まで人間として回りにも扱われてきたし、自分でもそう信じ込んでいたプールは、当惑し自暴自棄になりかける。しかし彼は、どうせなら自分がどういう存在なのかを調べることにし、体の中に”現実供給装置”と呼ばれる彼の中枢神経が受け取る全ての感覚刺激を司るモジュールがあることを突き止める。この現実供給装置を自分でプログラムできれば主観的現実を支配できる、つまりあらゆるものが制御できることに思い至った彼は秘書のサラを自身が施したプログラムの効果を確認させるため呼び出す。様々な実験を繰り返した後、プールはプログラムそのものを止めてしまう。消えていくのはもちろん彼の主観的現実だけのはずだったが・・・、というストーリー。
 ちょっと核心の部分にまで触れてしまったような気がするが、この程度では揺るがないし、物語の結末で起こる事象とそれを描いたディックの力量に感嘆することだろう。

・「凍った旅」
 この作品では前述のパラノイア的思考は感じられなくなるが、別の思考、つまり”今いる現実は本当に現実なのか?仮想空間に構築されたシミュレーションではないのか?”という映画「マトリックス」などでもおなじみの妄想が披露されている。
 物語は、恒星間旅行船に乗っている間は冷凍睡眠カプセルで眠り目覚めたときには目的地であったはずなのに、装置が故障し、意識だけが目覚めた状態になったまま10年の旅路を耐えなければならなくなったヴィクター・ケミングスが主人公である。無論このまま放っておいては精神が崩壊してしまうのは自明なので、宇宙船に積まれているAIは目的地に到着するまでの10年間、ヴィクターの記憶を走査し構築した夢を見せ続けることで彼が廃人になってしまうのを防ごうとした。夢を見るなら、幸せな夢が良い。当然そう思った船は、彼の中から幸せな記憶を見つけ出し追体験させるが、これがどうも上手くいかない。男は200年ほど延命治療をして生きているのだが、その生きてきた中のどの幸せな記憶を追体験させても最後には悪夢になってしまうのだ。その原因はヴィクターにあった。彼は識閾下に大量の不安を抱えているのであった。そのため”不安と罪悪感を網あわせて、ひとつのネットワークを作り上げてしまっている”彼に記憶から構築した夢を見させることは不可能だと悟った船は、まだ彼に無い記憶、恒星船が目的地に到着した時の映像を、ヴィクターがこれは夢であると気付かない短い期間だけを繰り返し何度も何度も10年間に渡って見せ続けたのであった・・・、というのが結末までの大体のストーリー。
 結末は実際に読んでたしかめて欲しいのだが、「あちゃー。やっちまったよ…」という気分になることを請け負いましょう(笑)

・「アジャストメント」
 さて、最後に表題作の感想を書いていきたい。トレーラーやCMでは、アクシデントは偶然起こっているのではなく"彼ら"によって操作されていた!定められた運命を嫌い、運命は自分で切り開くんだ!とマット・デイモンが格好良くハードな感じで演じていますが、原作はどちらかというとコメディ色が強く出ています。
 主人公エド・フレッチャーはある日、朝から保険勧誘員が訪ねてきたせいで会社に遅刻してしまう。ああ、また上司に嫌味を言われてしまうと急いで会社に向かっていると、会社の建っている地区に入った途端、ふと違和感を覚えた。あらゆるものが静まり返り、色彩を欠いている。なんだなんだと会社に着くと従業員全てが灰色の姿になって触れると細片となって崩れ落ちてしまった。これは大変だと、混乱していると後ろから白衣を着た男たちが迫ってくる。本能的に危機を察したエドはなんとか逃げおおせ、妻の元へ行き、何があったかを子細に語る。無論そんなことは人事られない妻は、夫を引っ張って会社へと連れていく。するとどうだろう。あたりは普段の賑やかさを取り戻し、景色は様々な色彩を放っている。精神的に参っていたため見た幻覚だったかと自分を納得させようとした時、ハタと気づく。変わっている。デスクの大きさが、同僚の服装が、壁の絵が、微妙に昨日までと違っている!やはりあれは幻覚などでは無かったんだと大急ぎで妻に電話するために電話ボックスに入ると、するすると空へと上昇していく。着いた先で彼は、自然の過程に捕捉を加え現実を調整する、云わばメタ現実を操る組織から君が見たことは絶対に誰にも喋ってはいけない、妻はなんとかしてごまかすんだ!と半分恫喝されて約束することになる。無事現実へと帰ってきた彼に妻は詰め寄るが・・・、といったストーリー。
 これはあくまで私見なのだが、ディックって女嫌いだったのかな?まぁ、わからんではないが(笑)さておき、フッと笑ってしまうような結末だが、やはりこの作品にも現実に対するフォビア的な感情が盛り込まれているのはお分かり頂けたかと思う。
 映画が始まるまでまだちょっと時間があるので、SFものでない人は誰かに原作はこうだったよと自慢するためにも読んでみてはいかがでしょうか?



 さて、今回はフィリップ・K・ディックの『アジャストメント』の感想を書いてみたのだが、いかがでしたでしょうか?自分はちょっとディックに対して苦手な意識を持っていたのですが、ちょっと振り払う事が出来ました。まだ読んでないディック作品の方が多いが、これからも読んでいきたいと思います。普段あまり本は・・・という方も映画化を機会に読んでみてはどうでしょう?

それでは、また次の日記で...!
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